ハンターは黎明の夢を見るか

獣道を抜けたそこには、光があった。

柔らかく降る雨が草の上に転がる死体と人の形をした光を濡らし、血の痕跡を消し去ろうとしている。

「騎士、か?」

光は手に下げていた剣をそのままにトーランドへと視線を向けた。

「なんでこんな所に」

トーランドが知る騎士は、村や町が襲撃されようがそこに暮らす人々が荒野に叩き出されようが気にもかけない者達だった。従者の一人も連れず、林の只中に姿を見せるような存在ではなかった。

しかし、騎士は目の前に立っている。

「……私は騎士ではなく、一介の遊侠にすぎない」

騎士は呟いて剣を軽く振り、トーランドに問いかける。

「お前こそ何者だ」

返答によっては剣を振るうことも辞さない。そんな気配にトーランドは動じなかった。死ぬのが今日になるだけの話だ。そんなことよりも、遊侠を名乗る酔狂な騎士に少しだけ興味が湧いた。この格好つけの野郎にどう返してやろうと考えて、トーランドは笑う。

「俺かい? 俺は──カジミエーシュ最強のバウンティハンターだぜ」

自称遊侠はトーランドの言葉に笑いもせず剣を納めると、転がる死体に視線を向ける。

「ところで、そこの死体は俺らの獲物なんだが、手を出したのはアンタか」

そうだ。と短い返答があった。

死は先延ばしになったようだが、報酬を満額受け取るのは諦めたほうが良さそうだ。命と報酬どちらが大切かといえば命の方が若干重いため、トーランドは甘んじて目の前の事実を受け入れることにした。仲間達の文句や愚痴を考えると頭が痛いが、受けた依頼を完遂できなかったのだから仕方がない。

複数の足音に気づいたトーランドは背後を振り返り、終わったから帰りなと声をかけた。この現場を目撃した者のうち、数人は間違いなく騎士と揉める。そして捨てなくても良い命を捨てることになる。運よく命があったとしても、手足が使い物にならなければ見捨てるしかない……トーランドには使えない者を養う余裕がない。

しばらく揉めていたようだが、諦めたらしく気配は遠ざかり、入れ替わりに夜が明けた。静かに広がる薄明りが騎士の姿を露わにする。

口ぶりからは想像もつかないほど若い騎士はトーランドに向けていた視線を逸らすと剣の柄に手をかける。わずかに遅れてトーランドも騎士の視線を追った……騎士はトーランドよりも早く、接近する気配に気づいていた。

「……依頼主を斬るのは勘弁してくれねえか」

気配の正体に気づいたトーランドは騎士を制止する。報酬が減るのはともかく、働き損になるのは避けたかった。

しかし、騎士は剣の柄から手を離そうとしない。となればトーランドにできることは一つ。ことの成り行きを見守るだけだ。

やがて重い足音と共に壮年の男が現れた。転がっている死体を一瞥し、トーランドに視線を移し、最後に若い騎士を見る。

「追い詰めたはいいが、最後に騎士様が掻っ攫ったというところかな」

微笑みを浮かべた男は騎士から視線を逸らすことなくトーランドに確認をする。

「そんなとこだ」

嘘をつくこともできたが、この男相手にそんなことをしても無駄だとわかっている。事によっては命の保障がない。

男は惜しかったなと笑ってトーランドに袋を投げた。受け取った袋は重く、それなりの額になるだろうことは容易に想像がつく。

「残りは君のものだ。ムリナール」

「不要だ」

若い騎士は言下に断ったが、男は意に介さない様子で騎士に近付いて袋を差し出した。

「正当な報酬は受け取るべきだと思うがね」

それに、君が得たものをどう使おうと君の勝手では? 穏やかな笑みを浮かべる男はそう言って手を引こうとしない。

「君が受け取らなければ、この報酬は私の懐に収まるだけになるのだが」

騎士は険しい目つきで男を見ていたが、剣の柄にかけていた手を離すと袋を受け取った。そりゃそうだ、金はないよりあったほうがいい。そんなことを考えていたトーランドは男の視線が自分に向けられている事に気づいた。雨ではなく、冷や汗が一筋、頬を伝って落ちていく。

「次は横取りされないよう気をつけるといい」

終始穏やかな笑みを浮かべていた男が立ち去ってようやく、トーランドは息をついた。騎士と依頼主の間に漂う雰囲気ときたら、物騒なことこの上ない。しかも騎士が標的を斬った理由がわからない。話の流れからして、依頼を受けていたわけでもなさそうだ。

わかっているのは若い上に腕が立ち、このあたりでは絶対にお目にかかれない美形であるということ。それにムリナールという名。

夜半から降り続いてた雨はいつの間にか止んでいた。雲の合間から差し込む光は木々に阻まれて濡れた草に影を落とす。

若い騎士はトーランドに近づくと手にした袋を差し出した。

「受け取るといい。これはお前達が得るはずだった報酬だ」

虚をつかれたトーランドは騎士の顔を眺めることしかできなかった。

美味い話には必ず裏がある。受け取った瞬間に腕ごと斬り落とされるのでは、と疑いの眼を向けるトーランドに騎士は言葉を付け加えた。

「他意はない」

「……他意はないっつってもなあ。世間はそんなに甘くできちゃいねえよ」

トーランドは騎士の間合いから逃れようと後ずさる。運が良ければ逃げ切れるかもしれないが、微妙なところだと冷静に考える中、騎士が袋を投げた。

重い音に続いて袋が転がり、トーランドの足元で止まる。

「失礼する」

騎士は踵を返すと木立の間を去っていく。袋を拾い上げたトーランドはしばらく考えていたが、あとを追った。

騎士は思ったよりも歩みが早く、追いつけないどころか距離は少しずつ開いていく。長雨で足場が悪い上に声をかけても振り返りもしない騎士に業を煮やしたトーランドは、嘘か本当かもわからない名を呼んだ。

「──ムリナール!」

騎士がぴたりと足を止めて振り返る。

素性の知れないハンターに名を呼ばれたことを咎めもせず、立ち止まって待った上になにか用でも、と言いたげな視線を向ける騎士がいるとは思わなかった。呼び止めておいて何だが、トーランドは何を言おうとしたのか忘れてしまった。

「相当な変わり者だな、アンタ」

かわりに口をついて出たのはかなり失礼な本心だった。これだけで斬り捨てられてもおかしくないが騎士──ムリナールは特に気にした様子もなく、そうだなと肯定する。

「ここまで直裁に言われることはなかったが、そう思っている者は多いだろう」

自覚があんのかと言いたくなったがさすがにそこまではいえず、トーランドは口をつぐむ。

「それで、なにか用でも?」

改めて問われたトーランドは変わり者の騎士を見た。

「……礼を言おうと思ってよ。この金は俺らの取り分じゃねえ。そんだけの働きができなかったってこった。本来ならアンタに返すべきだが、飯を食わずに生きていくのは難しくてな」

ムリナールは静かに頷いて言葉の続きを待っている。少なくともトーランドにはそう思えた。

「そんなわけで有り難く頂いとこうと思う。恩に着る」

どういたしましてとも何とも言わず、ムリナールは微かに笑った。少年の気配が一瞬だけ漂って消える様子に、こんなに甘くて生きていけるのかねえこの騎士様は。などと余計なことを思う。

ただ、せっかくできた縁だ。変わり者ではあるがトーランドのような流民の言葉に耳を傾ける騎士などそうはいない。関わりを持っておくに越したことはないとも考えた。

「──せっかくだし、飯でも食って行かねえか? 口に合うかどうかは保障しねえが」

唐突とも言えるトーランドの申し出にムリナールは驚いたようだったが、ご相伴に預かろうとやはり静かに応じた。

 

騎士というのなら貴族だ。身につけている装備は見るからに良い品だし、雨を弾くマントなど簡単に手に入るものではない。明らかに育ちが良いであろう貴族の青年が干し肉とそこらの草を煮た汁物を文句ひとつ言わず平らげる様子は、少しばかりトーランドの常識を狂わせた。

しかも美味しかったとか言い出した。確かに味は悪かねえけどよと答えると、干し肉はそのまま齧っていたなどと言う始末だ。コイツは本当に生きていけるのか? と疑いの眼差しを向けるトーランドをよそに、ムリナールは白湯を飲みながら木立ちを眺めている。

雨が吹き込まなかったおかげで浅い洞窟は乾いており、風が吹き抜けていく。金色の髪が揺れると光が揺れているようだった。

──光など、トーランドには無縁だ。

まがりなりにも人として暮らしていた町は砲撃で更地になってしまった上に、トーランドはカジミエーシュで異族だった。本来の故郷は遙かに遠く、たどり着くかどうかも定かではない。

その日を生きていくだけで精一杯だったから角は早々に削ってしまったし、次の朝をどう迎えるかなんて考えたことがない。いつかどこかで野垂れ死ぬまで生きていくだけだ。

「名は?」

ぼんやりと物思いに耽っていたトーランドは自称遊侠の声で我に返る。

「……トーランド。トーランド・キャッシュ」

そんなものを訊ねられたのは久しぶりだった。

後ろ暗い何事かを依頼する時にわざわざ名乗る者はいない。捨て駒に名乗る必要もなければ、額面通りの金を渡してくれさえすればどこの誰だろうが構わないという話だ。もちろん、騙されれば実力行使に出るが。

アンタの名は知ってるから聞かねえぜ。むしろ、不躾に呼んで悪かったな。そんな言葉を遮ってムリナールは何のこだわりも見せずに名乗った。

「私はムリナール・ニアール。名など気軽に呼んでくれて構わない」

ニアールと聞いてさすがにトーランドは驚いた。カジミエーシュで知らない者はいない英雄の家名だ。そんな血筋の騎士がどうしてこんなところに? という疑問と、ああもあっさり金を手放した理由がわかった気がしてトーランドは引きつった笑いを浮かべる。

「──随分と心が広いことで」

嫌味なら死ぬほど出てくるが、そんなものを目の前の騎士にぶつけるのは違うような気がした。立ち止まった姿を思い出したからか、食事とは言い難い何かをこだわりもなく食べる姿を見たからか。それとも、どこか傷ついたような表情を浮かべているからか。

「……私をムリナールと呼ぶのは、身内ぐらいのものだ」

ぽつりと呟いたムリナールは軽く息をつく。

軽々しく名を呼ぶなという意思表示なのか、それとも違う意味があるのかトーランドにはわからない。少なくとも身内判定されたわけではないだろう。何しろ、つい先ほど出会ったばかりでこれから長い付き合いになるわけもないのだから。

そこらを徘徊する騎士なら再会することもあるだろうが、ニアールであれば今後一切関わりはないと断言してもいい。それなら遠慮することはないだろうとトーランドは開き直って訊ねた。

「騎士様よ……おっしゃってることがさっぱりわからねえんだが……」

傷ついたような表情は夢か幻だったのかと思うほど平然としてムリナールはトーランドの呼びかけを訂正した。

「私は騎士ではないと言ったはずだが」

騎士ではないというが、装備も剣の柄に手をかける仕草も騎士そのものだった──トーランドが知る「騎士」とは雲泥の差があったが。

「そうだな、そうだった。じゃあ遊侠さんよ、アンタ一体何が言いたいんだ?」

騎士の定義について言い争う気などトーランドにはない。おそらくムリナールにもないだろう。ムリナールの呟きもトーランドの問いも、騎士や遊侠についてではないのだから。

改めて問いかけるとムリナールは考えを巡らせるように黙っていたが、ようやく口を開く。

「私は、一個の人格として扱われることが少なかった。ということだ」

固い声音から重苦しさや閉塞感すら感じてトーランドは言葉を失った。しかし何を言いたいのかわからないままだ。わかるのは、あの時名を呼んだことが「正解」だということだけ。

ニアールの騎士はおそらく、トーランドが名を呼んだというだけでここに留まっている。

「……もうちょっとわかりやすく話してくれるとありがたいんだが。何しろ俺には学がねえ」

人扱いされないというならトーランドにも心当たりがあるし共感もできるが、人格がどうとかいう話はさっぱりわからない。

ようやく熱が引いた携帯用のコンロを畳みながらトーランドがぼやくと、ムリナールはすぐに応じた。

「私がニアールだと知っていたら、お前は呼び止めたか?」

「あー……まあ、そのまま見送っただろうな」

何しろつい先ほど当たらずとも遠からずといった考えを巡らせたばかりだ。トーランドが素直に認めると、そういうことだとムリナールは事も無げに言った。

「父上に伴われ辺境へと赴いたことがある。百戦錬磨の騎士達は惜しげもなく持てる全てを教えてくれたが、年端もゆかぬ子どもが訪れたとして、彼らは同じように接してくれただろうか」

「……騎士の皆様方のことはわかんねえが、アンタの才覚が優れていればいずれ百戦錬磨の騎士達に手合わせを願う機会があるわけだし、早いか遅いかだと考えてもいいんじゃねえの?」

ちょっと悲観的すぎやしねえ? と付け加えたトーランドにムリナールは、それまでに私と騎士達が戦場で死んでいなければそうだろうなと身も蓋もない言葉を返した。

「人よりも早く、そして多くの機会を与えられる意味は重々理解している。皆が求めるのは私ではなくニアールだ。ムリナールを呼び止めるものなど、いない」

悲観するでもなく、静かに語る若い騎士が生まれながらに全てを持っていることはわかっている。それでも、トーランドの目には時折少年の顔をする騎士が痛々しく映った。

「俺は、金をくれた遊侠さんに礼を言って、ついでに縁を作って困った時に巻き込んでやろうと考えていただけなんでな」

そんな思いを悟られないよう叩いた軽口に、ムリナールは苦笑いを浮かべる。

「……タチが悪いな」

「こんな生活してると三日で性格悪くなるからな。アンタも精々気をつけな」

それにしても。そう言葉を継いでトーランドはムリナールの表情を窺った。

「話し相手は選んだ方がいいぜ? 俺みたいなヤツはなんでも金に変えちまう」

トーランドとしても貴族の悩みだの閉塞感だのと聞かされても困る。どんな立場でも立場なりの悩みがあるのだと理解はしたが、命しか持っていない流民がしてやれることは忠告ぐらいしかないのだから。

ムリナールはしばらく考えていたが、なぜか笑った。

「今の話を換金しようと思うなら大騎士領まで赴いた上でムリナール・ニアールから直接話を聞いたと証明せねばならない。そこまでの労力に見合う金額であれば良いが」

少年の笑顔に似合わぬ強かさに、トーランドは先程まで抱いていた同情心のような何かを全て捨てた。

「……アンタ、嫌なヤツだと言われたことあるだろ」

この野郎、とにらみつけるトーランドに対してムリナールは涼しい顔をしている。

「事実を述べたまでだ。それに……見知らぬ相手だから話せることもある」

あくまで淡々としたムリナールの口調に苛立ちを感じないわけではなかったが、なまじ知った相手だからこそできない話は確実にある。

トーランドはがりがりと頭を掻いてため息をついた。爪に引っかかる角の名残がたまらなく煩わしい。

「──遊侠さんよ、これは忘れてくれていい話だがな」

光を形にしたような若いクランタは瞬きをしただけだ。だが、声を拾うためか金色の毛に包まれた耳が動いた。

「俺みたいなのは足元を気にするのが精一杯で、見えるのは自分の影ばかりだ。空なんて眺める暇もありゃしねえ。生きてるだけマシって話ではあるんだが、抜け出すこともできねえときた。そうなると、影の中で生きてるような気になってくるんだよ。そこにアンタが立ってたわけだが……」

今更、光なんぞ思い出してもなあ。

トーランドは吐き捨てるように呟くと力なく笑う。

「影ってのは光がなきゃできねえもんだろ。そんで、そっちにはどう足掻いても行けねえ。なら光なんぞ知らなきゃいいのさ。そうすりゃ心安らかに生きていけるってわけだ」

向かいの青年は何かを言おうとしたようだが結局、なにも言わなかった。表情もそこまで変わらない。ただ、金色の耳が気の毒なほど悄気ていた。

「……アンタみてえなガキが気にすることじゃねえよ。忘れろっつっただろ」

耳の傾き具合に罪悪感すら覚えたトーランドが笑い飛ばすように言うと、途端に耳が立った。切り替えは早ければ早いほどいい。コイツは案外長生きできるかもしれねえなと思っていたら怪訝な眼差しにぶつかった。今なんて言った? と聞こえてきそうだ。

「んだよ。言いたいことははっきり言わねえとわかんねえぞー?」

トーランドが冗談めかして笑いかけると、なぜかムリナールは目を伏せてぽそぽそと呟く。

「確かに私は成人前だが……そこまで子どもでは……」

「安心しな、見た目は立派な騎士様だよ。けど俺はアンタより五年か十年は長く生きてるからなあ、多分」

整った顔立ちに浮かぶ驚きの表情をトーランドはにやにやしながら眺めていた。どんな相手であれ、ここまで驚いてもらうと気分がいい。

「見知らぬ相手だから話せることがあるつったのはアンタだ。二度と会うこともねえだろうし、お互いここでの話は忘れる。それでいいだろ?」

茶化すように言ったトーランドをムリナールがじっと見つめる。あまりに見つめてくるのでトーランドは野暮とわかっていて訊ねた。

「アンタ、誰彼構わずそれやってんのか?」

だが、返ってきたのは何がだ、という自覚もなにもない返事だった。無自覚ならなお悪い。いずれ周囲に勘違いした人間が列を成すだろうが、俺には関わりがねえし……などと考えているとムリナールが口を開いた。

「渡した報酬の使い途だが」

「はぁ?」

言葉に被せるように呟いてしまったトーランドは呆れてムリナールを見る。あの視線の後に報酬の使い途について話を切り出されるとは思わなかった。もっとも、色気のある話をされても困るのだが──そんな感情を抱かれるような真似をした覚えはない。

一方のムリナールは何を勘違いしたのか、返せとは言っていないと呟いて話を続けた。

「強制でもない。気が向いたら考えてほしい、程度の話だ」

ムリナールの話は振り幅が大きすぎて、発言に至るまでの過程が想像できない。普段なら、ある程度の会話をすればおおよその傾向が掴めるし、込み入った話になる前に話を変えるなり立ち去るなりできるが、ムリナールに関しては何もできず話を聞くしかないという有様だ。そんなトーランドにムリナールは、渡した報酬で装備の新調を考えてはどうかと提案した。

「……おっしゃることはごもっともだがよ、俺も食わせなきゃならん奴らを抱えてるんでな」

それなりの額が転がり込んだのは確かだが、人を養うとなると話は別で、酒だの女だのに金を使う奴もいる。だがムリナールは冷ややかに言葉を返した。

「村ひとつ養うわけでもあるまい。先々を考えれば装備に金を割くのは当然だと思うが」

普段なら聞き流すであろう言葉に苛立ちを覚えたのは、苦労したことなどなさそうな貴族に言われる筋合いはないと思ったからなのか、それとも他の理由があるのか。トーランドは考える前に喧嘩腰で応じた。

「言ってくれるなぁ、騎士様よ。目先のことしか考えられねえハンターが何を求めてるか知りもしねえくせによ?」

「目先のことしか考えない輩を引き止める余裕があるのか?」

トーランドの顔からは笑みが消えており、ムリナールは冷徹な眼差しを向けている。どちらかが一言付け加えるだけで平行線の言い争いが始まるはずだった。

トーランド。とムリナールが低く名を呼ぶ。

「お小言なら結構だぜ」

拒絶するように言い放つトーランドに構わずムリナールは言葉を続けた。

「私はこれでも話をする相手を選んでいる」

「へえ? 俺は貴族様のお眼鏡に適ったってことか。それは光栄なこった。感謝でもすればいいのかい?」

馬鹿にしたような言い草にもムリナールの表情は変わらない。

「ニアールではなく私が選んだと言っている──お前が先の事を考えないのなら、こんな話はしない」

相変わらず淡々としたムリナールの語り口にトーランドはせせら笑って言い放つ。

「アンタが俺の何を知ってるっていうんだ?」

「無駄な争いを避け、愚かな嘘をつかないことは知っている。彼我の差を計ることにも長けている。善人ではないが悪人でもなく、面倒見が良い。これぐらいで良いか?」

つらつらと、立板に水を流すかのように語られた人物が己だとトーランドには到底思えなかった。

「……何言ってんだ、アンタ」

何をどう見たらこんなことが言えるのかと不気味にすら感じながら呟いたトーランドに、ムリナールは世間話のような気軽さで語り始める。

「手勢を帰したのは、私との諍いを避けるためだ。先程の口振りからしてお前が頭目、頭目の制止を聞かず私に斬りかかる者がいるということだろう。生き死にをかけるよりも内輪で揉めた方が面倒が少ないのは確かだ。依頼を完遂できなかったと正直に認めたのも良い判断だ。あの男は一部始終を把握している。嘘を言えば前金すら反故にされる可能性が高かった。そして何より、私とあの男の間に割って入らなかった。人となりや面倒見については所感になるので語る必要はないと思うが」

口を挟む間もないとはこの事だ。しかも所感とやらはともかく、他の推測は概ね間違っていない。トーランドは苛立ち紛れに髪をかきあげつつ舌打ちをして、涼しい顔をしている年下の騎士を見た。

「……そんで? まだ言いてえことがあるんだろ?」

ムリナールは眉根に皺を寄せると、初めて不可解だと言いたげにトーランドを見た。

「私の所感が聞きたいのか?」

「ちげえよ、何でそうなるんだよ。俺の稼業についての話だよ……」

思いもつかない反応にトーランドは深々とため息をつきながらうなだれた。怒りや苛立ちが消えたというよりも、反論する気が失せたと言った方が正しい。話すだけ話してどっか行ってくれといったところだがムリナールは黙っている。

風が木々を揺らすざわめきや羽獣のさえずりが聞こえるが、トーランドの心は一向に休まらない。たまりかねて顔を上げるとムリナールがようやく口を開いた。

「仕事は選んだほうがいい。特にあのような話は避けるべきだ」

黙って続きを待つこともできたが結局、トーランドは喋ることにした。

「……選んではいるぜ。今回のは金払いが良くてな」

生まれ持った性分なのか教育の結果なのか、騎士様は言葉が足りない。声音や口調も手伝ってかなり突き放したように聞こえるが、何を考えているのかと聞けば答える気があるのは今までの会話でわかっている。時間を割くのであれば、実のある話にした方がいいと考えた結果だ。

金払い。という言葉に嫌そうな表情を浮かべたムリナールは、表情にふさわしく嫌そうな声で言った。

「報酬で仕事を選ぶと、いずれ命を落とすことになるぞ」

「そう言われてもな。町を更地にされた奴らにある選択肢は飢えて死ぬか殺されるかの二択だぜ? 飢えて死ぬのを待つようなのは中々いねえと思うんだが」

着の身着のままで荒野に叩き出された難民の間でさえ何かしらの奪い合いが発生し、簡単に死んでいく。ムリナールはそんな光景を知っているのだろうか。皮肉や嫌味ではなく心底からトーランドは思った。

「……戦いの勝敗は数で決まる。精鋭の騎士を揃えても、数で劣れば擦り潰されるだけだ」

「けど、アンタのお父上は違ったろ?」

唐突に切り出された話にトーランドは困惑しつつ問いかけたが、ムリナールは緩やかに、否定するように首を振った。

「少数精鋭で戦局を覆さなくてはならない状況にまで追い込まれたこと自体、敗北だ。あの時、何が必要だったのかと言えば数だろうし、数を揃えるために必要なものは敵の情報ということになる。それと同じ話で──情報があれば危険が伴う仕事を受けずに済むだろうし、報酬額の交渉も可能だ」

ムリナールは口を閉ざし、トーランドは話の内容を整理した。要は情報を集めろと言いたいのだろう。騎士云々はそれだけを言ったところで混ぜ返されることを学んだらしいムリナールが付け加えた蛇足であり、情報の重要さを強調するための例え話でもあるようだ。

「ご高説を、どうも」

礼には聞こえない礼に、できるかどうかは別として。と言葉にはせずに付け加えたトーランドが軽く頭を下げるとムリナールはわずかに首を傾げて何かを考えていた。まるで光のように髪が揺れる。

「──少数精鋭で戦局を覆すには、士気と練度が必要になる」

唐突に呟いたムリナールは腰を上げた。光を受けて長身の影が現れたが、トーランドには届かない。

「指揮官に従わない騎士が存在してはならない」

ムリナールの先には青空が広がっている。

ああ、眩しいな。

そんなことを思いながらトーランドは騎士を見送るために立ち上がった。

「ふうん? そんな時、騎士ってのはどう対処するんだ?」

埃をはたきながら隣に並んだトーランドに意味ありげな視線を向けたムリナールは静かに告げる。

「いずれ、いなくなる」

「穏やかじゃねえなあ……騎士様も色々と大変なこった」

肩をすくめたトーランドにほんの少しだけ笑みを向けたムリナールが、このあたりはお前の縄張りかと問いかける。どうしてそんなことを? と不思議に思ったが、考えてみればこの地で足を止めて結構な時間が経っていた。あれこれ抱えて身動きが取れなくなった結果だが、ここに留まるつもりはない。だからトーランドは曖昧な答えを返すしかなかった。

「当面は。ただ、アンタが食い詰めた頃には引き払ってると思うぜ」

「……行く当てがあるのか?」

「……帰ろうと思ってな」

トーランドはそれ以上語る気もなかったが、ムリナールが重ねて問うこともなかった。無言で歩み出したが、すぐに何かを思い出したように振り返る。

「──忠告だ。あの男とは関わるな」

ほんの二、三歩の間に険しい表情を浮かべたムリナールの様子にトーランドは驚いた。忠告といいつつ、声音は逆らうことを許さない硬さがある。

「そりゃまたどうして。アンタ、知り合いだろ? 名も知ってたし──」

ここであの男とは程々に付き合いがあると言ったら一波乱起きそうな気配がしたのでトーランドは黙ることにした。余計なことは言わない方がいい。

「騎士殺しを知り合いに持った覚えはない」

氷のように冷ややかな言葉を残して、若い騎士は去った。

トーランドは後ろ姿が木立の間から見えなくなるまで眺めていたが、変わり者の騎士は振り返りもしなかった。

久しぶりに一人で考え事でもしたいところだが、やることは山のようにある。まずは、報酬の分け前を待つ者たちのところに戻らなくてはならない。

煮炊きの痕跡を消して、トーランドもその場を去った。

 

──装備を整えれば報酬の分け前は減る。不満を申し立てる者はいつの間にか姿を消すか、出ていけと言えばそれで終わりだった。ちょっとした揉め事はあったものの、残ったのはトーランドが兄弟と呼んで信頼している同族と、そんな彼らとつるむようになった者達だから身軽になったし話も早い。結果、しばらく滞在した林を出て南下し、今は廃棄されたと思しき集落の跡に留まっている。

都市近くまで足を延ばしてわかった事だが、南は東と異なり、隣国の侵略を許していない。それだけに騎士の権威だのなんだのがいまだに強く根付いていた。

東の騎士などウルサスに散々やられて面目も何もあったものではない。裂獣のように夜通し追い回される羽目になった騎士だっていたのだ──命を奪ったのがそこらのハンターではなく、ニアールの騎士であったことは救いなのか……トーランドの知るところではない。

土地も東ほど荒れておらず、狩猟を中心としていてもほどほどの暮らしができるだろうが、隣国を越えるとなるとそれなりに元手が必要になる。騎士を殺したハンターが居着いていると噂を流したのがどこの誰だか知らないが、おかげで根も葉もない噂につられて舞い込んでくる「仕事」は絶えない。

仕事を受けたり受けなかったり、報酬の額面を吹っかけたりしながらのらりくらりと過ごしていたある日、黒髪のクランタが訪れた。

騎士見習いかそれに準ずる教育を受けているであろう若者が「騎士殺し」のハンターを訪ねるなど訳があるに決まっている。かといって、見るからに追い詰められている者を門前払いしては後々何があるかわかったものではない。

やむなく話を聞いて、パレスニカの名が出た時点でトーランドは話を聞くのをやめた。不穏な噂の常連である貴族と関わるなどごめんだ。

代わりと言ってはなんだが、本物の「騎士殺し」を紹介した。と言っても繋ぎをとる方法を教えただけで、本人に行き着くまでは面倒を見てやれない。なので報酬は出世払いで構わないと耳触りの良いことを言って体よく追い出した。

国境近くで騒動があったと聞いたのは、憔悴した様子の若者を見送ってそれなりの日が経った頃だった。若者の望みはわからないままだったが、パレスニカという名の貴族はカジミエーシュから消えた。

あの騎士が騎士殺しに関わるなと「忠告」したのも納得がいく。そんなことを考えたトーランドは久しぶりにムリナール・ニアールを思い出した。今頃はニアールの名を掲げて征戦騎士として戦っているのか、それともまだ、遊侠などと酔狂な事を言っているのか。あの時は余裕がなかったからロクなものを食わせてやれなかったが、今なら羽獣を焼いてやるぐらいの余裕がある。何なら果物をつけてもいい。

そんな事を考えていた矢先に黒髪の若者が訪れた。

話もロクに聞かず依頼を断り、早々に追い出したハンターに状況報告をする顧客未満など聞いたことがない。トーランドは表面上はにこやかに、それでいて周囲に目を配りつつ対応した。

話を聞けば抱えていた問題は解決したという。望んでいた形ではなさそうだが。などと言えば表情をさらに曇らせてしまうこと請け合いなので、そりゃあよかったなと言うにとどめて近づく人の気配に目を留めた。

残照に輝く金髪と、せっかくの顔立ちを台無しにする愛想のなさは昨日別れたかと思わせるほど変わらない。

「報酬なら出世払いで構わねえ。前もそう言ったつもりだが……まさかアンタ、後ろの御仁を報酬として差し出す気かい?」

黒髪の若者は明らかに狼狽えて振り返る。そりゃまあ狼狽えるわな、ニアールの騎士を報酬に差し出そうなんて考える奴はいねえよと底意地の悪い事を考えつつ、トーランドはにっこりと笑った。

「冗談だよ。わざわざ足を運んでくれたんだ、飯でも食っていきな。そっちの騎士様もどうだい?」

目の前の二人を見るに、主導権は背後の騎士にあるようだった。意見を求める様子の若者をよそに、金髪の騎士は片眉をぴくりとあげて無愛想に呟く。

「私は騎士ではない」

「へえ。じゃあ何だっていうんだ?」

興味津々で訊ねるトーランドに、騎士はやはり無愛想に返した。

「遊侠だ」

「はは、遊侠ときたか──」

作り笑いではない、心からの笑みを浮かべてトーランドは遊侠を自称する青年を見る。

「アンタ、変わってんなあ」

青年は無言でトーランドにかすかな笑みを向けた。

少年の面差しを残した騎士は薄闇が迫る中でも、眩しかった。