ハンターはやられっぱなしではいられない

焚火に近づくにつれて人影から複数の手が上がり、出迎えの声が聞こえる。

こっちの姿だと出迎えが賑やかだ。皆ちょっと現金すぎやしねえか? そんなことを思いつつトーランドは歩みを邪魔する小石を蹴飛ばした。

この距離でトーランドに気づく者は同族……サルカズだ。クランタも同様に夜目が利くそうだが、年若いクランタは近づく人影に気を払う様子はなかった。

朗らかとは言い難い上に口数も少ないがいつの間にか人の中心にいる。今も黙って飛び交う会話に耳を傾けているのだろう。

金色のペガサス──ムリナール・ニアールが現れてからトーランドの視界は少しばかり明るくなった。

人影が一つ、焚火を離れて近づいてくる。わざわざのお出迎えとは下心でもあるのかねえ、と立ち止まったトーランドの元に現れたのは、住まいを追われてこっち、共に放浪してきた同族だった。

「……今更相手をしろとか勘弁してくれや、兄弟」

苦笑するトーランドに、長い付き合いの同族は思いっきり怪訝な視線を向けた。

「……何の話だ」

「いや、わざわざ出迎えるとか下心でもあんのかなーと思ってな」

ああ、と納得したように頷いた同族は即座にトーランドの言葉を却下した。

「ねえな。天災が降ってもねえよ。だってお前だぞ? 普段のお前がちらついて無理」

「そこまで言われるとなんか傷つくぞ、おい」

「正直なところを言ったまでだ」

傷つくと言ったものの、トーランドとしても大いに納得できる主張だったので話を変えた。輪を離れて一人で来たということは、それなりの話があるということだ。

「俺が留守にしてる間に何かあったか? 見る感じごたついてる感じはしねえけど」

「お前が思ってるような問題はねえよ。強いて言えば、シチボルの坊ちゃんは今日も騎士様に勝てなかったぐらいだ」

「あー……そろそろ行けると思ったんだがな」

「騎士様もああ見えて負けず嫌いなところがあるからな。そう簡単にはいかねえよ」

それは言えてる、と笑いながらトーランドは改めて焚火に集う面々を見た。

「そんで、シチボルは不貞寝でもしてんのか」

「いや? 明日に備えて寝るっつってた」

「アイツも大概、負けず嫌いだよな」

笑いながら呟いたトーランドは初めて会った時のシチボルを思い出した。切羽詰まった顔をしていた上に、成り行きとはいえハンター集団に居着いて腐ったりしないかと気にかけていたが杞憂だったようだ。

「──で? そんなことをわざわざ言いに来たわけじゃねえんだろ?」

「ああ。今日は騎士様がオレらのボスにいつ気づくかって話で盛り上がってるぜ」

焚火を囲む人々を眺めていたトーランドは楽しげな「兄弟」をまじまじと見て、納得した。

「なるほど。人を酒のつまみにしてるってわけか」

「そういうこった」

トーランドとしては隠す気はないし、いい機会なので今日にでも話そうと思っていたところだ。一時的な客に手札を晒す必要はないが、騎士様は一向に立ち去る気配がない。

そんな事を考えて初めて、思ったよりムリナールを信頼していることにトーランドは気づいた。

「……こんな話をわざわざ伝えにくるあたり、賭けでもしてんだろ」

「まあな。ちなみにオレはお前が話を切り出す前に気づく方に賭けてる」

「ほう? そんじゃたまにはしおらしくしてみるかねえ」

軽口をたたきながらトーランドは長い付き合いの同族と焚火へと向かった。近づくにつれてここに座れと言わんばかりの空白がムリナールの隣に出現したのには関心したが、こんな事で一致団結できるなら普段からそうしてくれねえかなとトーランドは心底思った。

さすがに妙だと感じたらしいムリナールが振り返り、目が合う。

火の周りにいるのは男ばかりだが、女がいることもある。そんなことも手伝ってか疑問を抱いた様子はなかったが、金色の瞳が瞬いた。

軽く会釈をしてムリナールの隣に座ったトーランドの元に回ってきたのは酒だ。賭けの対象に酒なんぞ回すんじゃねえよと思ったが、背後を歩いていた男がそれとなく酒を取り上げて違うカップを手渡した。果実水だ。

酒を回してきたのは早くバレてほしい派で、取り上げたのはトーランドの答え合わせを待つ派だろう。トーランドはおとなしく果実水を飲みながらムリナールの様子を窺った。

素知らぬふりをしているが、この騎士様は案外「よく見ている」。トーランドが座に加わったことで生じた変化などとうにお見通しのはずだ。それにしても。と綺麗な横顔から視線をそらして思う。

貴族、しかもカジミエーシュきっての名家に生まれたのなら女に対する礼儀作法とかあるんじゃねえの?

そしてこうも思った。

女を特別扱いしてるところなんぞ見たことがねえな。

兄弟達の方が下心込みで女に優しい。事実、今でも幾つかの視線がトーランドに向けられている。その全てに笑みで応じてトーランドは背伸びをした。

疲れているのは事実だ。肩の関節がぱきぱきと音を立てるし、背中は軋んで悲鳴を上げている。女になるたび思うが、彼女らはどうしてこんな窮屈な服で生活しているのだろうか。もう少し機動性とか考えるべきでは?

心の中で不満を呟きながら思いっきり腕を伸ばしていたトーランドは失礼、と呼びかける声を聞いた。

ムリナールがいつの間にかトーランドを見ている。視線からは下心など微塵も感じられない。内心、感心しながらトーランドは笑みを向けた。

「……はい、何か?」

ムリナールは何度か瞬きをすると、勘違いであれば申し訳ない。と前置きをして言葉を続けた。

「──トーランド?」

瞬間、どっと座が沸いた。早えよだのもう少し誤魔化せだのとトーランドを責める声から、ほら見ろ言っただろと勝ち誇る声、単純な悲鳴など様々な声が飛び交う中でトーランドは姿勢を戻した。

「勘違いじゃねえよ。正真正銘のトーランド・キャッシュだ。兄弟達の馬鹿騒ぎに巻き込んじまってすまねえ」

「いや……」

さすがに平然としていられないらしく、ムリナールは信じられないものを見たような顔をしている。無愛想なムリナールにしては珍しい。

改めて回ってきた酒に口をつけて、トーランドはムリナールに訊いた。

「何で俺だと思った? それなりの根拠があるんだろ?」

女になると髪や目、肌の色は同じだが顔は全く違う。兄弟たちに言わせると「姉か妹だと言われると納得できる」程度に違うらしい。それをトーランド・キャッシュ本人だと断定した理由が知りたかった。要は、単なる好奇心だ。

ムリナールは少し考えて口を開く。

「木立の陰からお前が姿を見せた頃から座の雰囲気が変わった。隣もいつの間にか空いた。トーランド・キャッシュは昨夜から不在だが、今夜戻ると聞いていた。根拠はこれぐらいだ」

ムリナールは傍らに置いていたカップを手にしたが、中身が空なのか元に戻した。

「だが、隣に座った女はトーランドが兄弟達に寄付を募った上で騎士様のために寄越した商売女って可能性もあるだろ?」

「それも考えた。お前は不躾な視線にも笑顔で応じていたから」

飲みかけの果実水をムリナールの前に置いてトーランドはぼやく。

「結構上手いことやったと思うんだが……決め手は?」

「……背伸びをしていただろう」

背伸び、と呟いたトーランドにムリナールが頷く。

「腕の伸ばし方や角度がお前の癖と一致していた。あそこまで一致していて他人だという方が難しい」

ムリナールは淡々と語るが、トーランドとしてはにわかに信じがたい。これなら目や髪の色が同じと言われた方がまだ納得がいく。

「ウッソだろ……」

「嘘ではない」

剣筋の癖というならともかく背伸びの癖を覚えているとかコイツ……と妙な居心地の悪さを覚えるトーランドをよそに、ムリナールは果実水のカップを手にして一気にあおる。

「私も聞きたいことがある」

「構わねえぜ。何だいムリナール」

賑やかな中でトーランドとムリナールは特に声を潜めるでもなく会話を続けた。

「その。どうして……女になっているんだ。昨日までは男だったはずだ」

ほんの少し言い淀んだムリナールにトーランドは腕を組んで頷く。

「確かに昨日、お前さんに散々叩きのめされた時は男だったな。そこからこっちに切り替えて情報をまとめてきたのさ。働き者だろ? 褒めてくれてもいいんだぜ?」

トーランドはにこにこと笑みを浮かべてムリナールに体を寄せた。ちょっとしたおふざけだったが、ムリナールは無言でトーランドの頭に手を置くと繊細さとは程遠い手つきでかき乱す。

「……これでいいか」

はいともいいえとも言えずにトーランドは無言で乱れた髪を整えた。冗談を本気にする奴があるか。

「女の髪を扱う時は丁寧にな──で、俺がサルカズってのは知ってるな?」

ムリナールの理解し難い行動について考えるのをやめたトーランドは話を戻した。知り合って程々の時間が経過したが、何も言わないムリナールが何を察しているかぐらいはトーランドにもわかっている。

ムリナールは浅く頷いてトーランドの告白を肯定した。

「嘘か本当か知らねえが、俺にはシェイプシフターの血が混じっているらしい。変形者つってもわかんねえよな。実は俺にもサッパリだ」

トーランド本人にすらよくわかっていない現象を他人、しかも他種族に説明したところで説得力のかけらもないことは良く理解していた。できることといえば事実を伝えるぐらいだ。

一方のムリナールは表情ひとつ変えずに話の続きを待っている。

「本来のシェイプシフターは性別問わず、他人に姿を変えられるそうだ。その影響ってことだとは思うんだが」

真偽のほども定かではない馬鹿げた話の締めに、トーランド・キャッシュはたまに女になるとだけ知っといてくれればいい。そう付け加えたトーランドの頬に手が触れた。

座が一気に静まり返る。

「傷は」

「……は?」

「傷がない」

周囲が固唾を飲んで見守る中、トーランドは頭を抱えたくなった。傷の有無を指摘するために顔を触る意味がさっぱりわからない。しかも、焚火に照らされた白い肌に睫毛が影を落としていることがわかるぐらいに近い。そんな中で考えを巡らせた結果、トーランドはムリナールの手を穏便に引き離す答えを捻り出した。

「──男に戻れば傷も戻るぜ」

「そうか」

頬に触れていた手がようやく離れる。

恐ろしく居心地が悪い雰囲気の中、ムリナールが腰を上げた。

「覚えておく」

トーランドの肩を金色の尾が掠めていく。ざくざくと瓦礫を踏む足音が遠ざかり、ムリナールの気配が消えてようやく、兄弟達がトーランドの元に押し寄せた。

矢継ぎ早の質問やどさくさに紛れた告白、恨みごとを適当にあしらい、これ以上は明日と話を打ち切ってセーフハウスに戻る途中、トーランドは双月を見上げる姿に気づいた。

ぼんやりと夜空を見るムリナールは隙だらけで、背後に近づくトーランドにも気づいていないように見える。

「ムリナール」

声をかけると年若い騎士は振り返り、かすかに笑ってトーランドに歩み寄る。

「明日はいつものトーランドか?」

思いがけない問いかけにしばらく黙ったトーランドは、ムリナールが何を考えているのかわからないまま答えた。

「ああ。どこかの誰かさんのおかげで余計な仕事が増えたしな」

明日のトーランドにはあれは何だどういうことだとやかましい兄弟達を黙らせる仕事が待っている。加えて年下にやられっぱなしというのが気に食わない。なので言葉を続けた。

「今夜はこのままでもいいぜ。お前さん次第だ」

眉根を寄せたムリナールの手に指を這わせて、トーランドは睦言のように囁いた。

「──来るかい? 仔馬ちゃん」

清廉潔白な騎士の見本がサルカズの、しかも男だか女だかわからない者の誘いに応じるとは思えなかった。万が一応じたなら、それはそれで楽しい夜になるだろう。

金色の目をじっと見つめていると、耐えかねたようにムリナールは顔をそむけた。

同時にトーランドも指を離して、おどけたようにひらひらと手を振る。

「あっはは、冗談だ。さっきは散々だったからな。これに懲りたら無闇におにいさんをからかうんじゃねえぞ?」

ムリナールに背を向けたトーランドは元来た道を戻る。

「良い夜を、ムリナール」

振り返りもせずに言い放ったトーランドは気づいていなかった。

立ちつくすムリナールが握りしめた手も、そむけた頬に浮いた淡い血の色にも。