すまじきものは宮仕え
ドクター直々の呼び出しと聞いて、嫌な予感にさいなまれつつムリナールは執務室へと向かっていた。
ロドスにおける「ドクター」はアーミヤ女史、ケルシー医師に並ぶ最高責任者の一人であり、数多くのオペレーターが信頼を寄せる指揮官である。素顔を晒すことは滅多になく、ムリナールにとってドクターを構成するものはフルフェイス越しに聞こえる笑い声や正気を疑う冗談、そして卓越した戦術指揮だ。さらにビジネス面においても卓越した指揮能力は如何なく発揮される。実は研究者だと聞いた時は己の耳を疑ったほどだ。
有能である上に理不尽な難癖や無理難題をふっかけたりしない得難い上司だが名指しで呼び出しとなると話は別、絶対に厄介な案件が待ち構えている。危機契約か? それとも殲滅作戦か。バカンスで有名なシエスタに呼び寄せられたと思ったらよくわからないもふもふの相手をさせられたことは忘れていない。結構痛かったのだ、あれは。
そんなことを考えながら執務室の前で足を止めたものの、扉はぴくりともしない。手動になったとは聞いていないがと思いつつノックをするとのろのろと扉が開いてムリナールを招き入れた。
扉のそばにいたのはシルバーアッシュと呼ばれる青年で、本艦に常駐してはいないが姿を見せた時はドクターとの時間を捻出するために執務室で溜まりに溜まった書類仕事を凄まじい勢いで片付けているともっぱらの噂だ。いわゆるドクターガチ勢の彼はカランド貿易の最高責任者であり、手段を問わずイェラグの改革を推し進めているらしいが今は胡散臭い男と向き合っているドクターに物言いたげな視線を向けている最中だった。
胡散臭い男──トーランドはカジミエーシュにたむろするバウンティハンター達を取りまとめ、ギルドを創設した人物である。ギルドリーダーとも呼ばれる彼は弁が立ち、胡散臭い見た目によらず人に取り入ることを得意としている。
とはいえ、トーランドが得意の減らず口を叩いてロドスを良からぬ企みに巻き込もうとしているわけではないらしい。ドクターが何らかの書面を差し出して全身で友好的な雰囲気を醸し出している以上、シルバーアッシュが扉の前で圧を漂わせているのはドクターの意向で来訪者を閉じ込めているとしか思えないからだ。
ムリナールは無言で回れ右をして扉に手を伸ばした。仕事はまだ終わっていない。
そんなムリナールを遮ったのはシルバーアッシュの長い尻尾だった。見るからにもふもふした銀灰色の毛並みに触れたが最後、国際問題に発展するのではと疑いつつムリナールは嫌々振り返る。
シールド越しに視線を向けたドクターがにこにこと──顔は見えないが──笑いかけるとムリナールを手招きした。
「こちらは、バウンティハンターのトーランドくん」
あたかも知らない者同士を引き合わせているといったドクターの口ぶりに合わせたのか、トーランドが初めましてと言わんばかりの表情で会釈する。だが、金と引き換えにムリナール・ニアールについてあることないことドクターに吹き込んだ張本人が初めましてというのは少々無理がある。
ムリナールは彼らの茶番に付き合うことになった己を悟り、げんなりしていると表情で精一杯の主張をした。
話によるとトーランドはドクター謹製の「無料健診チケット」なる怪しげなものにつられてロドス本艦を訪れたところ、雇用契約書へのサインを迫られ軟禁されている最中だという。
真っ当な医療機関を受診しろと何度忠告してもサルカズは頑丈だからとかなんとか言って聞き流してきたくせに、紙切れ一枚でほいほいやってきたというのは中々に腹立たしい。ついでに自業自得だとも思ったが口にはしなかった。顔に出ていたかもしれないが知ったことか。
サインをするまで帰さないと意気込むドクター、契約に縛られるのはゴメンだと訴えるトーランド。そして、ドクターが抱える問題を解決できるのは私しかいないと無言で主張するシルバーアッシュ。三者三様の表情を眺めていたムリナールは呼び出しの意図を悟って深々とため息をついた。トーランドを説得しろというのだ。
ギルドリーダー氏が主張する通り、バウンティハンターを契約で縛るなど正気の沙汰ではない。以前から思っていたが、ロドスもといドクターは少々節操がない。経歴調査に頭を抱え、胃薬を手放せない人事部の職員たちを知るムリナールとしては今回の契約が新たな悩みの種になるだろうことは容易に想像できた。なにせ前科十三犯だ、歩くだけでほこりが舞うし現在進行形で罪状が増えている可能性すらある。
そもそも、バウンティハンターを雇用するメリットがどこにあると考えたムリナールは眉間に皺を寄せた。
ドクターのことだからムリナール・ニアールとトーランド・キャッシュの過去は概ね把握していると思っていい。そしてムリナールは自身が優れた指揮官であるなどとかけらも思っていない。できるのは目標と道筋を定めることだけ。
……カジミエーシュ近郊の任務を割り振られることが多い身としては「カジミエーシュ」を表層でしか理解していない者よりも、ギルドリーダーと組むほうが楽でいい。何しろ、目標を示しさえすればムリナール込みで動きを考える上に勝手に実行してくれるのだから。
ムリナールはトーランドに視線を向けると、ここから追い出してくれるよな? と言わんばかりの視線に再度のため息で応じて静かに切り出した。
「ここロドスにおいて私のアーツは──賃金斬と呼ばれている」
フルフェイスのシールド越しでもわかるぐらいにドクターがムリナールを二度見した。弱味を見せないようにと常に余裕ある笑みで武装しているシルバーアッシュですら怪訝な表情を隠そうともしない。だが、ムリナールが気にかけているのはトーランドの様子だ。
バウンティハンターは依頼内容と報酬の良し悪しで受ける仕事を決める。採算度外視または主義主張から外れている依頼を受けさせたいのなら方法は一つ――どれだけ興味を惹くことができるか。
その意味において、ムリナールのひとことはこの上なく効果的だった。
普段は表情を隠している青い瞳に輝きを宿したトーランドがそんで? と先を促す。
何を話しているんだコイツらはと言わんばかりの二人の視線をよそにムリナールは話を続けた。
「その理由はそちらのシルバーアッシュ氏に由来している。全ては作戦記録と呼ばれる映像に収められているが、これはロドスと契約を結んだオペレーターのみ閲覧が許されている。そうでしょう、ドクター」
突如話を振られたドクターが間をおいて重々しく頷くのを確認して、ムリナールはテーブルの中央に放置されていた雇用契約書をトーランドへと滑らせる。
「これにサインをするだけで閲覧が可能だ」
黙って話を聞いていたトーランドは値踏みするかのような視線をムリナールと雇用契約書をにむけた。その瞬間、ドクターがこれは秘密だとでも言うような口調で呟く。
「ムリナール抜剣集もあるよ……?」
シルバーアッシュがむせた。咳払いでごまかしているが吹き出したに違いない。いつの間にか作成されていた映像が経験値の向上に役立つとは全くもって思えないが、閲覧数は作戦記録の上位に位置している。らしい。
「……剣を抜くまでもないとか言ってる御仁の抜剣集があんのかよ」
呆れたように呟いたトーランドだったがそれも一瞬。すぐに陽気な笑みをドクターへと向けた。
「ドクターも人が悪いよなあ、そんな面白いモンがあるなら圧の強い兄さんやらこわーい騎士様を呼ぶ前に言ってくれよ」
ペンを手にしたトーランドが雇用契約書にサインをしようとして手を止める。
「……契約について協議は可能かい?」
それに雇用条件の詳細が知りたいねえと続けるトーランドにシルバーアッシュが盟友が出した条件に異論でも……? みたいな表情を浮かべているが、ドクターはもちろんだとも! と上機嫌で応じている。
注文をつけるということは、依頼を受ける気になったということでもある。なけなしの尊厳がごっそり減った気はするが、上司であるドクターの要望に応え、さらに今後の外勤任務が楽になるのなら許容範囲内だ。
労働条件や雇用条件についての話し合いに花を咲かせるドクターとトーランドに一瞥を投げて、これで仕事は終わったとばかりにムリナールは席を立つ。扉を塞いでいるシルバーアッシュもゆく手を遮る気はなさそうだ。
だが、背後でこんな言葉が聞こえた。
「解説役をつけてほしいんだよなあ。ほら、企業の元で動くには知っとかなきゃならないことが多いだろ? どこまでやっていいのかとか」
確かにそうだねとドクターが呟いた途端、銀灰色のもふもふした尻尾がムリナールの行手を遮る。尻尾の持ち主はといえば素知らぬ顔をしているが、ほんの少しだけ気の毒そうな視線を向けてきた。
気の毒だと思うなら人事部に戻らせてほしい。そう思ったムリナールにドクターが声をかける。
「そういうわけだから、作戦記録の解説も頼むよ、ムリナール」
新たな上司命令に、ムリナールはかつて日常的に感じていた無力感と共に振り返る。そこには──めちゃくちゃ乗り気でポップコーンと炭酸飲料を持ち込みたいとドクターに訴えるトーランドがいた。
~おまけ~
(スヴェルドメルターにがんじがらめにされるムリナールの作戦記録を見ながら)
「ロドスって製薬会社だよな?」
(ロケットランチャーに狙い撃ちされるムリナールの作戦記録を見ながら)
「……お前本当に製薬会社と契約してんだよな?」
(燃える葦の中に立っているムリナールの作戦記録を見ながら)
「製薬会社……?」