師弟は素直でいられない
昔々、ある都に数奇な星のもとに生まれた師弟がおりました。
師は都でも双無しき術者と誉も高く、一方、弟子は口さがない者たちに外法使いの外道などと蔑まれておりましたが──師弟が揃えば太刀打ちできる者は居らず、師が大事を成す時は弟子を傍に置き、何事も諮る様子でありました。
……面倒事を弟子に押し付けようとしていただとか、師の怠慢を罵っていただとか、そういった事実はございません。ええ、ございませんとも。
二人がどのような経緯で師弟となったのかは定かではありません。確かなのは、弟子は師を越えることなく命を落とし、師は誰に敗れることなく表舞台から姿を消した。という最期にございます。
一筋縄では行かぬ師もねじくれた弟子も、互いに思うところがあったようではございますが、二人とも素直ではない上に生まれついた星のこともあり、何一つ語らぬままでした。
……お互い、定められた最期を避けるためにあれほど足掻いていたのなら、何となく察することができたのではと思わないこともありませんが、そこはそれ。あの二人はこう考えていたに違いありません。
「アレが自分に好意を抱くなど何かの間違い」
正直に思うところを語っておけば良かったのです。
そうすれば、最期の視界に映る師の姿に心を残して逝くことも、物言わぬ弟子の首を手に姿を消すことも、なかったのかもしれません。
それから幾星霜、師弟はとある星見の館で再会を果たします。
そこは汎人類史最後のマスターを擁する人理の砦にして最前線。数多の英霊と僅かな人が集う場所。
星の呪縛から解き放たれた二人がようやく素直になれたかというと……人は死んでも変わらぬもの。星があろうがなかろうが、素直ではない師弟は輪をかけて素直ではなく、あれこれと周囲を困らせているようです──
「さては私たちを例の部屋へ閉じ込めようと思っていますね?」
「……マスター。例の部屋とは?」
「おや、知らないのですか? 情報のアップデートは欠かさぬよう昔から言っているでしょう」
「拙僧はマスターに問うております」
「何事かを成さねば出られぬ開かずの部屋ですよ。噂では宝具でも壊せぬとか」
「マスター?」
「前々から興味はありました。不肖の弟子と共にという点だけは不本意ですが、弟子の不始末は師の責任。覚悟はできています」
「怠惰な師に言われたくはありませぬ。マスター、そのような面妖な部屋があるなどと、この道満、ついぞ耳にしたことはございませぬが」
「調査不足を棚に上げて何を偉そうに。そのように躾けた覚えはありませんよ」
「……少しは黙っていることができぬのですか。狐は歳を取ると口が軽くなるのですかねえ?」
「図体と態度は立派に育ちましたが、躾が足りていなかったようですね。まったく」
マスターの前だから諍いで済んでいるが、普段だとここから式が飛び術が飛び呪が飛び、終いには手や足が出る。
カルデアにはさまざまな時代の英霊が多く、生前の因縁を持ち越して現界する者も多い。英霊によっては生前どころか死後の因縁を持ち越す者もいるが、同じ陣営に集ったということで折り合いをつけたり、極力顔を合わせないように双方が心がけている。もちろんマスター側もその辺りを心得て編成などを考えるのだが、この師弟は片方の姿を見かけると進んで喧嘩を売りに行く傾向が非常に強い。
師は鬼どころか源氏武者も避けて通る安倍晴明。弟子は安倍晴明の向こうを張った蘆屋道満。
平安期最高峰の陰陽師たちは顔を合わせるといがみ合い、かといってお互いを避けるわけでもなく、どうでもいいことを争いの種にして呪ったり呪われたりと忙しい。
鬼一法眼曰く──同時期に生きたサーヴァントたちは皆、言葉を濁すので鬼一法眼しか言及しない──あれで仲の良い師弟だから放っておけ。犬猫が戯れているようなものだ。とのことだが、姿を見かけ次第喧嘩を売るのはやめてほしい。
しかも、術の解釈が異なるだとか内部からカルデア崩壊を企んでいる疑いがある。などであればまだわかるが直近の争いの種は「食堂で一番美味しい定食について」だから目も当てられない。その前は犬科と猫科の優劣について殴り合いをしていた。
そこまで考えて、マスターは気づいた。
この二人、どうでもいいことでしか争ってない。
そもそも、特定の行為をしなければ出られない部屋に興味を持っている晴明などかなり怪しい。何がどうこじれてこんなことになったのかは知らないが、少しは腹を割って話せばいいのに。
手元のモニターで二人のステータスを確認すると、口喧嘩のついでに呪いを飛ばしているらしく状態異常と解除を繰り返している。
西洋の魔術もいいが、生国の呪術も捨てたものではないぞと鬼一法眼が主張するのもわかる気がする。ほんのさわりを学んだだけと謙遜する紫式部の呪も見事なものだ。
……口喧嘩などで、生国の魔術の認識を改めたくはなかった。然るべき場所で目を見張りたかった。
マスターはためいきをついて久しぶりに持ち出した術式の使い方を確認する。
召喚に応じてくれるサーヴァントも少なかった頃。今のように因縁だのなんだのと気を遣う余裕などなかった頃。特に頼りにしていたサーヴァント二人の折り合いがあまりにも悪く頭を悩ませていたところに、なぜか魔女メディアが「なぜか心当たりがあるのよ。なぜか」と言いながら清姫の協力を得て構築したものだ。
魔術に縁がなかったマスターでも簡単に扱えるようにとメディアが作った術式は「単純だからこそ解除は困難」な代物らしく、強制解除されたことは一度もない。
「二人とも、そこまで!」
マスターが声を上げると晴明と道満はぴたりと口をつぐみ、そっぽを向いた。
罵る言葉も尽きたのか、耄碌狐だの腐れわらびだのと小学生のような悪口で賑わっていた部屋が静かになる。
「残念ながら、晴明さんが期待している『~をしなければ出られない部屋』は当カルデアにはありません」
残念、という顔をした晴明に道満が冷ややかな笑みを向けた。
「楽しみにしていた晴明さんには申し訳ありませんが、今後設置する予定もありません。道満はそんな顔しない」
よそのカルデアにはあるらしい。とサポートから戻ったサーヴァント達から噂だけは聞いていたし、エジソンとテスラからは興味津々で作ってみたいと度々企画書が提出されているが都度却下している……余剰リソースは生野菜と果物の栽培に回したい。
「道満、左手を出して。晴明さんは右手」
カルデアの運営は所長やスタッフに加え、数人のサーヴァントが合議の上で担ってくれるが、サーヴァントの統率はどうしてもマスターが先頭に立つことになる。合意の上で召喚に応じてくれているため概ね話は早いのだが、なぜ遥か年上の存在にこんなことを言わなければならないのかと思う時がある。今がまさにそれだ。
不思議そうな顔をしつつも言われるままに手を出した二人の手首にマスターが手を添えると、発光する術式がメビウスの輪のように巻きつく。
「ンン? これは?」
「──西洋の術式ですね」
不思議そうな顔のまま括られた手首を眺める晴明と道満にマスターは告げる。
「これはメディアさん謹製、お互い素直に話をしないと解けない手錠です」
「……はァ?」
道満が髪を逆立てる勢いでマスターを見た。晴明は何を思っているものか、表情一つ変えずにマスターを見ている。
「生前に色々あったかもしれないけど、カルデアは私闘禁止です。軽い喧嘩は大目に見るけど、二人とも回数が多すぎるよ……手錠が外れるまでゆっくり話をしたらいいと思う」
絶句する道満をよそに、マスターはあそこに飲み物があるだとか、軽食とお菓子はこの箱にだとか淡々と説明を進めていく。
「部屋を出てもいいけど、手錠が解けない限りは二人一緒だから」
それじゃあ、と部屋を出ようとしたマスターに晴明が声をかけた。
「マスター。この手錠とやら、強制解除しても構いませんか?」
「いいと思う。メディアさんも実は楽しみにしてるっぽいし……解除できたら教えてね?」
「わかりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
自分は悪くない。と言わんばかりの笑みを浮かべた晴明に道満が食ってかかる。
騒がしい部屋を出たマスターは扉に謹慎中と書いた紙を貼りながら、根拠はないけれど喧嘩の大半は晴明の煽りが原因では……などと思った。
晴明は宙に浮いたディスプレイを左手で器用に扱っている。横目で見る限り、新しい術式の構築もしくは既存の術式の再構築を行なっているようだが、少なくとも手首を繋いでいる術式に関してではなさそうだ。
「……マスターにあのような大口を叩いておいて、術に触れようともしないのは如何なものかと思いますが」
「うん? おまえが解析をしているようだから結果を待っていただけですよ。どうです、おまえの見立ては」
ディスプレイを手で払って閉じた晴明はいつもの調子で道満に見解を問う。
この男は昔から変わらない。言いがかりをつけられる回数が多い気もするが、思い返せば生前も言いがかりをつけられては争った気がする。マスターに迷惑をかけているのは承知しているが、手足も飛ばず、諍いや殴り合いで済んでいる今の方がよほど穏当だ。
「西洋の術式は不勉強ですが、構成は極めて単純でございますね。はい、かいいえ、の二つしかない。ただ、厄介なのは……」
晴明は術に関してだけはどこまでも真摯で、誠実だった。道満の言葉に耳を傾ける今も浮世離れした顔には笑みの一つもなく、先を見透す目が道満を捉えている。
「……清姫の因子が組み込まれているようで」
「……清姫」
術について教えを受け、語り合い、争う時だけは、晴明の視界に映ることができた。
「清姫ですか」
「清姫にございます」
手錠というにはか細い輝きで繋がれた手を晴明の左手が軽く引く。しばらくの間、輝きを観察していた晴明は感心したように呟きを漏らした。
「おまえのいう通り、単純な構成ですね。ただし清姫の因子を編み込んでいるため、はいといいえの判定で真偽を扱う、と」
「ええ。強制解除しようにも編み込まれた因子が邪魔をするかと。何しろあの姫君は本能で真偽を見抜きます」
「作為的であればいくらでもやりようがありますが、本能では致し方なしというところですね。術は単純であればあるほど抜けがなく、強いという好例でもあります。解除は諦めましょう」
実にあっさりと解除を諦めた晴明は左手の力を抜いた。
術で繋がれた手が支えを失って晴明の膝に落ちる。
「さすがは神代の魔術師。メディアどのとは一度話をしてみたいものです」
感心したように呟く晴明から目をそらした道満はマスターの言葉を思い出す。
素直に話をしろと言われても、今更何を話していいのかわからない。術のことなら話せるだろう。カルデアとマスターが直面している危機についても。あるいは、紫式部が地下に展開している図書館の蔵書についてなら。
だが、マスターはそういったことを言っているのではないと思う。この術式が組まれたのは数年前だ。よほど素直ではない二人がいたのだろうし、関係を修復するために作られたものであれば表面的な話で解除できるとは思えない。
何も喋らずにいると、嫌でも昔を思い出してしまう。目録のように並べられた過去の中で一際目を引くのは、ぼやけた視界に映る何者かの姿だ。
感覚が欠落していく中、ただ見ていた。視界もやがて薄れゆき、暗くなる。何も見えなくなった後に心が残った。
そんなに心を残すのなら、ひとことだけでも告げておけばよかったものを。
記録の上で死に逝く「彼」に思う。
カルデアに晴明が召喚されてから、過去の記録が追加されていくことに道満は気づいていた。見てみぬふりをして今まで過ごしていたが、一度手をつけてしまえば止まらない。
書物の頁をめくるように記録を眺める。
サーヴァント・蘆屋道満の根幹を成す記録には常にひとりの男が存在していた。それはそうだ。蘆屋道満はたったひとりによって英霊の座に押し上げられたようなもの。始まりから終わりまで男は陽のように星のごとく輝き、道満は陰であり死んだ光を返す月にしかなれなかった。
妬みもした。恨みもした。憎しみを抱いた。人が持ちうる負の感情全てを抱いて、それでも輝きから目を逸らすことができなかった。願っていた。
人には定めというものがある。いつからか「彼」は己の定めを理解していた。だから、何事かを告げたとしても何ひとつ変わることはなかった。それなら黙って死ぬよりは、言うだけ言って死んだほうがいい。
──死んだ後に思ったところで、何も変わらないのだが。
静かだと思う。
死の間際のように静かだ。抱え込んだ膨大な感情は感覚とともに崩れ、残した心に添えられたのはたったひとつの願いだった。彼──蘆屋道満が死に際して残した心と願いは記録にない。
記録を俯瞰していた道満は、手錠で繋がれていた手に何かが触れるのを感じて我に返る。
繋がれた手に視線を落とすと、晴明の指がリズムを刻むように動いて、触れていた。そのまま視線を上げると、ディスプレイを前に考え込む晴明の姿がある。
表示されている時間を確認して、ずいぶん長く過去を追っていたことに道満は気づく。確かマスターに呼ばれたのが夕刻前だから、三時間以上は物思いに耽っていたことになる。よく晴明が黙っていたなと思うが、弟子として教えを受けていた頃は時間が許す限り黙って付き合ってくれる師でもあった。
居た堪れない思いに駆られたが、手を繋がれているため逃げることもできない。仕方がないので顔をそらすと晴明が道満の手を握った。
「──な、何か?」
あまりに突然だったので声が僅かに上擦ってしまったことも居た堪れなさに拍車をかける。用があるなら早く言って欲しいし何もないなら手など握らないでほしい。
「独り言を言います。聞かずともよろしい。返事も不要です」
焦る道満をよそに、ディスプレイから目を離さずに告げた晴明はいつもと変わらない口調で話し始める。
「おまえの首は清めて誰も知らぬ地に埋めました。私に許されたのはそれぐらいです。魂を喚ばうどころか、体を清めることすら許されなかったのでね。自由などあってないようなものでしたが、おまえを教えていた頃は楽しかった。手を離してからもです。私のような者に挑むのはおまえぐらいのものでした。楽しかったですよ。先ではなくおまえだけを見て声を聞くのは本当に楽しかった……だから、カルデアでマスターやサーヴァントと楽しげに笑うおまえの姿が嬉しくも、腹立たしくもありました。おまえは私だけを見てくれるものだと思い込んでいたのですねえ。だからといって煽っていいのかとマスターなどはいうでしょうが、それなりの理由も思いもあるということです。おまえがどう思っているかは知りませんが、私は……」
ふと言い淀んだ晴明はしばらく口を閉ざすと、道満を見た。
「そうですね。昔のように星の話をしたり、西洋の術について意見を交わしたいと思いました。我らが生国の歴史についてでも構いません。古今東西の英霊が集う場であれば知らぬことが山ほどあるはず。そういった事柄について、おまえと語り、見識を深めたい。せっかく自由の身になっておまえに会えたのです。昔を繰り返すのは嫌ですから」
切れ長の目を細めた晴明は、独り言はそれだけですと笑って話を終える。
生前でも滅多に見せなかった晴明の笑みから逃げるように道満は目を伏せた。嘘とも本当ともつかない晴明の独り言とやらを聞かされた挙句、笑いかけられてどうしろと言うのか。
「……不肖の弟子と、罵っておいてそれですか」
「出来の悪い子ほど可愛いというでしょう」
苦し紛れに口をついた悪態に、悪びれもせずに応じた晴明は解けませんねと軽く言う。
「おまえは宝具やスキルの構成からして頻繁にお呼びがかかるようですから、マスターが痺れを切らして解いてくれるのを待っても良いでしょう。それまでは私と二人、ここで昔話に花を咲かせるのも悪くはないと思いませんか」
何をふざけたことを、と言いかけて道満は思い直す。マスターはお互い素直に話をしなければ解けない術と言い、晴明は解けませんね。と言った。条件が揃っていないのだから解けなくて当然だが、晴明の口振りだと少なくとも条件はひとつ満たしたということになる。
晴明が語った話のどの辺りが「素直」なのか見当もつかない。
「花を咲かせる昔話などありはしないでしょうに。戯言も大概になさいませ」
「山ほどありますよ。何から話しましょう? おまえが弟子入りした日のことにしましょうか」
「──結構にございます」
放っておけば本当に弟子入りした日のことを語り出しそうな晴明を制して道満は握られたままの手を解こうと試みた。振り払おうとしたり、晴明の手に爪を立ててみたりしたが一向に離す気配がないので道満はやむなく晴明に頼む。
「手を離してくだされ」
「ああ。忘れていました」
手を離してもらえたものの、手首は繋がれたままなので当然、距離は近い。
長時間、二人だけで離れることもできずに座っていると折り合いの悪さに応じて居心地も悪くなる。単純な構成なのに悪辣極まりない術だ。晴明が言及した通り、術は単純であればあるほど抜けがなく、強いとまさに今、身をもって実感した道満だが晴明は特に堪えた様子もない。それはそれで何となく、腹が立つ。
「……好き勝手に喋っておいて、いい気なものよ」
楽しかっただの、私だけを見てくれると思っていただのと正気を疑う言葉を並び立てていたが、星や術について話をしたり、未知の知識について見識を深めるという言葉には心惹かれるものがあった。
師としての晴明は厄介な問題を押し付けてくる以外は優れていた。弟子入りした頃のように、何を思うことなく晴明と語り明かすのは──
「新しいことを語るのは確かに楽しいだろうが……」
「そう思うのなら、二人でメディアどのでも訪ねてみますか」
心の中で呟いていたはずが、言葉にしていたらしい。晴明の声で気づいた道満だが、口にしてしまったものは取り消せない。開き直るしかない。
「……二人で?」
眉間に皺を寄せて尋ねる道満に晴明は頷いた。
「ええ。これの話を聞きたいとは思いませんか?」
晴明は言葉に合わせて繋がれた手を掲げる。きらきらと輝く術は細い鎖のようにも見えた。
晴明と二人で、というところが癪に触るが、人づてに聞くのと直接聞くのでは大違いだ。それに、直接聞いたとしても二人して同じ見解に至るとは限らない。意見の相違を論じるのも楽しいだろう。
「そうですなあ……」
言葉を濁して答えた途端、術の輝きが消えた。
「解けましたね」
晴明は自由になった手を振りながら明るい声で言うと、開きっぱなしのディスプレイを閉じて立ち上がる。
「明日にでもメディアどのを訪ねてみましょう。神代の魔術師がどのような話をしてくれるのか、楽しみですね」
術が解けてよかったと思う。条件を満たしたからこそ解けたはずだが、どのあたりが「素直」に該当したものか心当たりがない。
道満は座ったまま晴明を見上げて、はあ。と気の抜けた返事をした。
「ではまた明日」
「──あの」
扉に向かう晴明の背に声をかけた道満は足を止め、向き直った晴明を前に言葉を失う。
何を言いたくて引き留めたのだろう?
「……どうしました?」
「いえ、その。野辺の礼をと思いまして」
道満は咄嗟に思い浮かんだことを口にしただけだが、そんなことですかと呟いた晴明は少しだけ寂しげな顔をした。
「怠惰な師ですが、弟子を弔うぐらいはします」
衣の裾を翻して、今度こそ晴明が部屋を出ていく。
ひとりになった道満は繋がれていた手を眺めながら、あの手錠をかけられるのは二度とごめんだと思った。こんな目にあうぐらいなら悪口雑言の類も聞き流すし、言葉にも気をつけるというものだ。
生前のあれこれを忘れるわけでも水に流すわけでもないが、晴明は仮にも師であったわけだし、たまには礼節をわきまえている姿を見せておかねば躾が足りないだのなんだのと余計な嫌味を言われかねない。
……仮初の生だからこそ、限られた時間を恨みつらみに費やすのではなく、有意義に過ごすべきかもしれない。などと柄にもないことを考えて、道満はようやく立ち上がる。
終わりを定めた星はすでにない。心を残して去るのは一度で十分だ。
マスターの私室を訪れた晴明は、開口一番に強制解除は無理でしたと他人事のように報告すると笑みを浮かべる。
「あんなにげんなりした様子の道満を見るのは久方ぶりでした。術に縛られるのもたまには良いですね」
晴明は常に笑っているように見えるが、本当のところはわからないとマスターは思っている。道満が嘘のように真実を口にするのと同じく、晴明は真実のように嘘を口にするように思えてならない。
ただ、今は本当に笑っているような気がした。
「……予想はしていたけど」
「はい」
「晴明さんって、小学生みたいですね」
「……はい?」
表情に変わりはないが、怪訝に思っていることが相槌ひとつで伝わってくる。聖杯から得た知識に加えて生前から現代の状況をある程度認識していたと思しき晴明なら小学生が何なのかぐらいはわかるはずだ。
ただ、どんな意味を込めているのかはわからなかったらしい。
「好きな子の気を引きたくて意地悪をする子みたいだな、って。だって晴明さんが召喚された時、顔を合わせたくないって逃げてた道満をわざわざ捕まえて喧嘩したでしょう?」
「師に挨拶のひとつもできぬ弟子に灸を据えただけです」
「……今までの喧嘩もですか?」
「それは単に意見の相違です。議論が喧嘩に発展するのは生前からですが、今回の件でご迷惑をおかけしていると師弟共々理解しましたので、穏便に済ませるよう心がけます」
にこやかな表情を毛ほども崩さない晴明にマスターは訝しげな眼差しを向けていたが、小さく息をつく。
「喧嘩をするなとは言わないので……まあ、程々に」
「ありがとうございます」
美しい所作で礼をした晴明は、就寝前に失礼しましたと丁重に述べて踵を返した。
「──晴明さんは、どんな開かずの部屋に入りたかったんですか? 道満と」
マスターの問いかけと同時に圧縮した空気が抜けるような音を立てて扉が開く。
ちらりと振り向いた晴明は
「ご想像にお任せします」
と、やはりにこやかに答えてマスターの私室を後にした。
──それからの師弟は、他国の魔術師と交流を持ち見聞を広め、議論を交わす一方で懲りずに派手な喧嘩をしていましたが、マスターを守るため肩を並べて戦うこともあったようです。
師弟共に末長く、とはいきませんが限られた時間を有意義に生きたことは確かでございます。
二人がどのように時間を過ごしたのか。思いの丈を打ち明けることができたのかは師の言葉通り──ご想像にお任せいたします。